「ブラウザ選択の時代を読み解く」第1章 超要約

2005年10月3日(月) 23時21分 by level
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ブラウザ選択の時代を読み解く」のハイライトである第1章は、IE の問題とは何かを解説し、なぜユーザは他の選択肢をを選ぶべきか、その理由を示しています。

以下、非常に大雑把な要約ですが、本書の雰囲気を把握するのに十分だと思います。

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“ブルーe”の問題点

感染は2004年6月24日に始まった。後に「Download.Ject」と名付けられるトロイの木馬が活動を開始したのだ。Download.Ject は、Microsoft の Web サーバソフトウェアのセキュリティホールにつけ込んで、銀行、オンラインショップ、オークションサイト、検索エンジンなど多くのサイトに人知れず忍び込んだ。

この惨事の犠牲者は皆、Microsot の Web ブラウザ Internet Explorer(IE)を使っていたのだ。それ以外のブラウザを使ってさえいれば、全く安全で、感染騒ぎとは無縁だった。

US-CERT は、そのレポートの中でいろいろと提言をしたが、世界中のシステム管理者やユーザの目は最後の一節に釘付けになった。「他のWeb ブラウザを使うこと。」そう、米国国土安全保障省のコンピュータセキュリティ専門家は、Microsoft の Web ブラウザは危険だと宣告したのだ。

1.1 インターネットむかし話

CERN の科学者であった Tim Berners-Lee は、オペレーティングシステムやワードプロセッサソフトウェアの種類を気にすることなく科学者の間で情報をやりとりするため、1990年に World Wide Web を生み出した。

1993年4月に Berners-Lee が下した決断の影響は甚大である。それがなければ、私がこの本を書くことはなかっただろう。彼は CERN を説得して、Web とそれに関連する CERN の持つプログラムのソースコードすべてをパブリックドメインに開放することにしたのだ。つまり、誰も Web を所有することはできず、Web を利用するにも、Web に関連するテクノロジを開発するにあたっても、誰にも使用料を支払わなくてよいということだ。

1.2 Mosaic

さらに同じ1993年4月、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校にある国立スーパーコンピュータ応用研究所(NCSA)10 が、Mosaic 1.0 をリリースした。これはたいした代物だった。ついに Web を一般的なものにするソフトウェアが登場したのだ。

Mosaic は目をみはる大成功だった。Mosaic はまだ若い World Wide Web を大衆化させた。わずか数ヶ月で、ネット上のトラフィックは10,000% にも増加した。

1.3 Netscape

(Netscape Communications Corporation へと)名前を改めた同社は突き進んだ。まっさらから Web ブラウザを作り上げるために。Mosaic よりも優れたものを作るために。ゴジラが東京を破壊したように、Mosaic を潰すものを作るために。そんなブラウザにぴったりのコードネームが作られた。「Mozilla」である。

1.4 Microsoft とIE とブラウザ戦争

1994 年秋の時点で、Windows 95 は開発を進めている最中だった。この時点では、Microsoft はブラウザをオペレーティングシステムに同梱する考えはなかった。ところが1995 年初頭になると、同社の幹部は Netscape の Web ブラウザを脅威とみなし、独自ブラウザを大至急で開発することにした。

Microsoft はコンピュータメーカーと結んだライセンスによって、Internet Explorer を Windows 95 から削除することを禁止した。もし Windows デスクトップやスタートメニューから1つでもアイコンやプログラムを削除したり、コンピュータの起動時に他社製のプログラムを選択できるようにしたら、その会社は恐ろしい結果に直面することになった。

そもそも、なぜ IBM や Dell といった大きな企業が Microsoft の要求を飲んだのだろう?

しかし、つまるところ彼らには屈服するしか選択肢がなかったのだ。

最終的に、オペレーティングシステムの独占状態をてこにした、自社製 Web ブラウザの普及戦略は成功した。1998 年初頭に Microsoft の幹部 Joachim Kempin が経営陣に報告したところによれば、コンピュータが60台あるとすると、Netscape の存在を確認できるのはわずかに4 台になったとのことだった。

Microsoft の猛攻撃に直面した Netscape は、状況をおとなしく受け入れたわけではなかった。後にブラウザ戦争として知られることとなる Netscape による反撃が始まった。Microsoft と Netscape による Web の覇権を巡る争いである。

ブラウザ戦争は誰のためにもならなかった。Web の利用者にとってさえも無益なものだった。

3 年にわたる一進一退の攻防の末、ついに Netscape は行き詰まりを理解した。戦争に負けつつあったのだ。何か手を打たなければならなかった。Netscape は風前の灯火だった。

1.5 博打は成功したのか

1998 年の間に、ジレンマに陥った Netscape は2 つの対応策を講じた。そのいずれもが世界を驚かせるものだった。まず1998年1月、Netscape は自社ブラウザのソースコードをオープンソース化すると発表した。

そして1998 年暮れ、2 つめの大きな発表があった。AOL が42 億ドルで Netscape を買収したのだ。

しかし、ここまでに述べてきたいずれの対処も、その後数年間の Internet Explorer の市場シェア伸長に歯止めをかけることはなかった。

ところが、Microsoft が Web での覇権を確立すると、おかしなことが起こった。彼らは、現状に満足し、怠惰になり、鈍重になったのだ。10 年近くも前に採用された Web ブラウザの設計の稚拙さが表面化し始めた。IE は時代の流れに付いて行くことができなくなり始めたのだ。

1.6 IE とWindows:一心同体

今や IE は Windows と融合しており、取り除くことはできない。Windows を使うということは、IE を使うということなのだ。

1.7 “ブルーe”- Windows セキュリティのアキレス腱

ブラウザの脆弱性はオペレーティングシステム自身を危険にさらし、オペレーティングシステムの問題が Web ブラウザに影響することとなってしまった。

我々は IE に縛り付けられたままで、セキュリティホールから逃れるには、オペレー ティングシステムを丸ごと買い換えるしかないのだろうか? 他の選択肢はないのだろうか? きっと、もっとよい方法があるはずだ。

1.8 赤いトカゲとその子供たち

Netscape の開発者らは、ピザとコーラという燃料補給を受けながら徹夜の作業を繰り返し、何年にもわたって死に物狂いで開発作業にあたってきた。プログラムコードの量は膨れあがり、複雑で手に負えない規模になっていた。

1つの決定が下された。それは、ブラウザのコードを構造化され系統だったものとするために、ほとんどすべてのコードを破棄して、正しい方法で初めから書き直す、というものだった。

ついに記念すべき日が訪れた。2002年6月5日。Mozilla 1.0 が世界に向けてリリースされたのだ。

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